ここに 偉大なる“小冊子”がある 題して
赤羽千鳳寒原の水
復刻版 ⇒


この書、赤羽千鳳著 阿智風土記恩田井水「寒原の水」は 明治時代の後期 南信州の荒廃した寒村を 豊かな水田地帯に変革した 一大事業“恩田井水”を 六十九年後 限られた状況下 総体的に克明に調査し記録し取りまとめた貴重な文献であり この大事業を総体的に伝える資料は 本書以外他には見当たらない。
しかもこの著者 赤羽千鳳先生は 地元伍和出身でもなく 昭和31年 遠く上伊那郡から伍和小学校の校長として 赴任してこられた方 本書が出版されたのが昭和34年2月1日ですから 約二年くらいの間に 校長としての多忙な職務の傍らでこれだけの業をなされたことに まずもって驚かされますとともに この業績も恩田井水に準ずるくらい価値のあるものとして 永く後の世に伝えていかなければならない 貴重な文化遺産といわねばなりません。




ここで 恩田井水とは 1899年明治32年 長野県下伊那郡伍和村(現阿智村伍和)に完成した総延長20キロに及ぶ灌漑用水のこと
 江戸東京の平坦地に造られた玉川上水などとは異なり 大変険しく 崩壊しやすい花崗岩地帯の山中を 山越え谷越えして造られたもので 
「一村水路としては稀に見る長水路であると同時に 難水路中の難水路というべきであろうか」(著者)

伍和(ゴカ)とは −−−

南信州 飯田市の南西方約15〜6キロ ちょうど恵那山と天竜川との中間くらいに位置し
伍和の里から眺める南アルプスの景観は白眉である

上の画像に映る田はほとんどが恩田井水の恩恵に預かっているといってよいだ!


ことしは 恩田井水 開通110周年!

以下赤羽千鳳著「寒原の水」を参照しつつ 

恩田井水の現況 歴史をたどってみましょう

赤羽千鳳先生の語り口も なかなか含蓄があって 味わい深いものがあるので そのまま少し紹介させて頂きましょう

資料提供は 大鹿 原政寿氏 
赤羽先生がこの本を記されてからすでに半世紀が経っており 伍和の里の風景も大分変ってしまいました
柿の古木はほとんど見られなくなり、明治の墾田は改良され、掘割の高架吊り鉄管も全く近代的な管に替っています

越田峠付近 ここからが伍和

寒原峠の北西八百メートル、寒原高原に白い川肌を洗って南流する恩田川に堰堤を設けて
川水の大半を堰入れることによって恩田井水路は始まるのである。

これを北流する新沓川に引き込んで水量を加え、堰堤を再度設けて第二取水口を作っている。

このように南流・北流の両河水を高原から谷へと巧みに流動させると同時に水量を増加させている。

これが恩田井水路の水源地帯の変わった構想で面白い。

この井水路は幾度か深山の谷を渡り、山をくぐり、山腹を迂回するので、

井水は時として碧たんとなって深山幽すいの境を巡り、突如奔流となって落下したり

また原野の中をのどかな清流となって流れる平和な景を作り出すというように実に変化に富んでいる。

掘割地積に立つと、右手の水路からさんさんと音を立てて流れる水が、
サイフォン水路を通って左側の水路にふつふつと湧き上がって流れているのや、

掘割に架橋してある鉄管水道を見上げて興味深く思われるだろう

この井水路に沿って設けられてある堰守(イモリ=監視員)の巡視路は水路に沿って延々と続いているので、これを辿ると眼界が常に開けて複雑な自然景勝が行く先々に展開する。 実に山野跋渉(ばっしょう)を愛好する人々の好個の世に隠れたハイキングコースというべきだろう。

幾度か山林、谷谷を越えて、越田の峠路にさしかかる地点は道路の曲折が多く、立つ場所場所によって眺望も変わり、時に阿智盆地を越えて飯田の市街もかすかに展望され、その遠くに西駒ケ岳、蓼科、八ヶ岳、仙丈、白根山



---の高峰が望まれ、近く塩見、荒川、赤石、聖の赤石山系三千m以上の連峰が指呼の間に対峙するおもいである。
このように自然景観は、この巡視路を堰守と共に時折跋渉に訪れる者にとって楽しいものであろう


この恩田井水の特徴について赤羽千鳳先生はその著「寒原の水」で次のようにまとめておられます
(1) 規模が雄大で、よく自然の難関を克服していること
(2) 考案が妙を得ていること
(3) 土民の不屈の精神が結集されて作られたこと
(4) 他村にまたがる諸権利問題を克服して解決していること


その歴史を紐解くと−−−

伍和の偉人 太田宗碩(おおたそうせき)の着想
恩田川・新沓川の水に最初に着眼したのは伍和上郷の漢方医 太田宗碩 だった!

阿智村史によれば 太田豊太郎 宗碩 父越之進も宗碩(ソウセキ)と名乗った。
父の医業を継ぎ、明治維新までおよそ七年間手習師匠をした。 伍和地区の農耕に大きな恩恵をもたらした恩田井水開発構想は この太田宗碩の着想によるといわれるが、宗碩が描いた大野と 向関(上郷)の山論の絵図には、浪合村境までがこまかに記されて いて宗碩の着想の原点を見る思いがする。明治22年9月51歳で 没した。

宗碩が最も苦心したと思われることは 全く見通しのきかない離れた別地区の水源地地方と伍和との標高と複雑な中途の地形に落差を保ちつつ引水路設定経路であった。測定器もない中、めんぱ(木製の円筒形の弁当箱)に水を盛って、要所要所に張った糸に当てて高低を確かめてだんだん自信を得たもののようであった。こうして西部地区寒原より伍和へ引水することが可能であることを村人や寺小屋の子弟にも力説してやまなかったとのことである。現在太田家は上郷区に存続す。

伍和の偉人 

明治27年(1894)恩田井水組合が結成され原九右衛門が委員長となる 当時の九右衛門は平田学の流れを汲む国学者であり、二宮尊徳の末流である農村開発の同志会、大日本実行会下伊那支会長であった。
恩田井水組合幹部 役員名は次の通りこれも決定を見た。
疎水委員長 原九右衛門、同幹事長 平野桑四郎、同幹事 原信太郎、同 原市右衛門、同 吉村宗重郎、同 原豊松、同 高坂伊之市、同 原代吉、同 橋本喜三郎、 同 玉置菊弥、 同 井原隆太郎、同 井原代太郎、 同 大島八五郎、同 上原茂十郎、同 原三重郎、同 田中弥八、同 原範次郎、同 高坂仲太郎

明治27年(1894)は日清戦争が勃発した年である。日本国家としては未曽有の国難を迎え、興奮と杞憂の中、同志一同奮起一番初志に向って取り組んでいった。


以下、完成までに至る悪戦苦闘の詳細な経緯は、「寒原の水」本書をご覧いただくことにしましょう。

平成11年(1999)は恩田井水開通100周年にあたり、記念の行事も行われましたが、これに先立つ平成5年には「寒原の水」復刻版が発行され、初版本以降の経緯が紹介されております。
右の恩田井水記念碑は 大正15年に建立され 昭和2年4月その除幕式が行われた

明治32年(1899)の4月には寒原恩田川の水は延々二十キロメートルの本井水を浸して流水し、長年荒廃をほしいままにされていた土地が今は水田化して展開されていくのは驚異的現象といわなければならない。
現在はただ明け暮れ自然の河水のように見つめるこの井水に多くの涙と喜びの長年月があったこと今更偲ぶのである。
この一巻は この村にきて僅かでも村人のため、郷土の文化遺産を伝えたいために多忙の生活の中から時間をさいて記したものである。

------赤羽先生のこの思い 我々は重く受け止めなければならない。 なぜなら異郷から来た人にこのような思いを抱かせたということ、それはそれまでいかに地元村人のこの大事業に対する思いが薄かったということに他ならなかったから-----。
-----それに続く先生の仕舞いの言葉も-----
伍和の人がこの大切な先人が苦労して残してくれた文化財を愛情を以て育て、私利を忘れてこの為により良いものに改善して、後々の人に残す義務のあることと痛切に思うのである。ーーー今度の子供達、学校のためにも郷土を愛する人物を育てるには、村民も学校も郷土をよく観ることより始まるものと思考するわけである。〔1958年12月〕
追記・前がきより この研究記述に当初より応援して下さった、原清志先生並びに熊谷重敬両氏に深甚なる感謝の意を表する。―赤羽―

赤羽千鳳先生は、昭和31年(1956)上伊那郡より伍和小学校長として赴任された。そして、「この伍和の地に郷土の先人が、郷土将来の発展のために残した大きな文化遺産である恩田井水に着目」し、「この偉れた事業を全体に亘って書いたもの、即ち発端から完成までの苦難の道を世に伝えているものがない。」ことから、「将来この事業の真相を世に伝える術を失う恐れ」からいわば義憤に駆られて「寒原の水」を著されたのです。その熱意とご努力には頭が下がります。冒頭でも述べた如くこの書の出版自体恩田井事業に匹敵するくらいの価値のある業績であり、永く語り継いでいかねばなりません。できれば国会図書館に一部寄贈して永久保存していただいたらいかがでしょうか。



「寒原の水」第六部に 恩田井水を育て守ってきた人々  名前のみ列挙しておきましょう

原九右衛門を始め十八名の委員は育ての親である。 歴代の組合委員長―原九右衛門、高坂勝男、原正一、上原文吾、熊谷天明、橋本隆、熊谷省吾、熊谷重慶の諸氏。 現在この全水路の点検に熊谷重慶氏の手がいの宮下邦次氏が井守の役を勤めて毎日のように井水路を登っていく姿がみられる。

最後に恩田井水100年の歩み 年表を掲載して このホームページを終わらせていただきます


トップへ戻る

伍和の偉人へ参考= 琵琶湖疎水へ 

 
このページは原政寿氏よりお借りした赤羽千鳳著「寒原の水」、恩田井水利組合 百周年記念実行委員会「恩田井水 開通百周年記念」を参照抜粋して作成しました。阿智村伍和の偉大な文化遺産“恩田井水”の概要が、また赤羽千鳳先生の偉業がネット上でも簡単に検索できるようにするためこのページを作成しました。画像処理、表現方法など未熟な点はご容赦ください。
  ご意見ご感想などは下記へ 

2009(平成21)年.1.15  原 敬 (mail: democrac@hotmail.com)

 
inserted by FC2 system